SSブログ

1994年の今日。 [空港]

何があった日か、覚えていますか?

この日、中華航空機が名古屋空港に墜落しました。

 

このブログには楽しいことを書きたいと思っている私ですが、この日、このことを書かない訳にはいきません。

 

旅行会社の名古屋空港事務所に勤務していた私。

その日はお休みで、家でテレビを見ていました。

20時20分頃だったでしょうか、電話が鳴りました。

実家の母からでした。

「そこにいる?だったらいい。今テレビで、名古屋空港で飛行機が墜落したって出たから。無事だったらいいわ。」

ビックリして、チャンネルをあちこち変えてみたけど、まだ特に何もやっていません。

墜落と言ってたけど、空港に墜落するってあまり考えられなかったので、オーバーランかなって想像しました。(結果は「墜落」でしたが。)

しばらくすると、NHKで臨時ニュースが始まりました。

事故は、20時16分頃起きたようです。

固定カメラの映像で、飛行機が燃えているのが分かりました。

そして、消防車のサイレンが聞こえてきました。

私の家は空港から結構距離はありましたが、消防署は近くだったので聞こえてきたんです。

 

 

ここから先は、その時事務所にいた同僚から聞いた話です。

勤務時間は20時まで。

残業もなく終わり、上司は先に帰宅。

女の子3人で、休憩室でお菓子を食べながらおしゃべりをしていた。

電話が鳴ったので出てみたら、台湾専門のグループ会社の社員の人から。

「テレビで中華航空が墜落したと言ってる」と聞いて、ビックリ。

全然気付いていなかった。

後から思うと、何か音がしたような気がする。

事務所(4階)からは、滑走路の北側半分しか見えない。

見てみたけど、特に分からない。

南側が見える非常口に出てみたら・・・飛行機が燃えているのが見えた・・・

 

近所に住んでいる男性社員2人も駆けつけてきて、先に帰った上司は戻ってきた。

(1人の男性社員は、「ボンッて音がしたけど、近所の子供が家の壁にボールでもぶつけたかと思った。」と言っていました。)

そこからが大変。

事故も勿論大変だけど、直接出来ることはない。

翌日のお客様がどうなるのか?

滑走路が使えないのは想像できる。

朝一の成田行きは飛ばないだろう。

成田経由で出発するお客様は、直接成田へ行っていただいた方がいいだろう。

という訳で、成田便ご利用のお客様のお宅へ、一軒一軒電話。

お客様のほとんどは理解してくださったけど、中には「荷物を運ぶのが大変だ。お前が持っていけ!」なんて事を言う方がいてびっくりした。

結局、皆さま成田へ行っていただける事に。

でも、チケットはここにある・・・

社員の一人が翌朝一番で持っていった。

 

事故の時点で、この日名古屋空港を出発する予定で、まだ定刻前なので飛んでない飛行機が2機。

コンチネンタル航空と日本アジア航空の、グアム・サイパン行き。

お客様は、もう飛行機に搭乗していて、出発待ちだったようです。

勿論出発できなくなったのですが、事故があってそうすぐには何か分かる訳ではありません。

どうするか決まるまで、そのまま待機になったようです。

そして、約一時間後、欠航が決まりお客様は降機することに。

出口で出迎える。

ツアーはキャンセル。

ほとんどのお客様は、納得されてお帰りになる。

が、ここでも、心無い方が。

「待ってる間、飲み物も出さないのよ!どういうこと!?サービスが悪い!」

すぐそこで飛行機が落ちて燃えているのに、この言葉・・・

 

当時、私の会社の事務所は、中華航空の事務所と同じ建物・同じ階にありました。

事故の翌日以降、マスコミの取材の方が、中華航空事務所前の廊下で、毎日毎日待っていました。

何か情報を集める為でしょうか。

1ヶ月たっても、数人が待っていたと思います。

 

事故機には、私の会社のパッケージツアーのお客様は乗っていませんでした。

でも、代理店の添乗員付きの団体が乗られていました。

この団体が出発した日、私たちの班の誰かが、この団体の添乗員さんにチケットを渡したはずです。

でも、その日はとても忙しかったので、渡したという記憶がある人はいませんでした。

 

思い出すと、まだまだ色んなことがありましたが、このくらいで・・・


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。